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安祥城の跡=愛知県安城市
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 徳川家康の三大危機の一つと言われる「三河一向一揆」(1563~64年)。地元・三河(現在の愛知県東部)で半年にわたって苦戦を余儀なくされ、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では序盤のハイライトの一つとなった。実態はどんなものだったのか。中心となった場所が発掘中と聞き、見に行くことにした。

 東京駅から東海道新幹線のこだまで約2時間。愛知県安城市は、隣接する豊田市にある企業に通う人が目立つ、人口19万人ののどかな市だ。

「安城」と「安祥」

 その歴史の中心となってきた場所の一つが安祥城(あんじょうじょう)。15世紀以降、家康の祖先にあたる松平一族の居城となるが、天文9(1540)年に織田信長の父・信秀が奪取。その後、49年の今川軍の攻撃で落城し、城代を務めていた信長の兄の信広が捕らわれるなど、数次に及ぶ「安城合戦」の舞台となった。城跡周辺は現在、公園として整備され、「安祥文化のさと」として市歴史博物館や埋蔵文化財センターなどが建てられている。

 「安城合戦後、城に関する記述が少なくなることから、16世紀半ばには廃城になったと考えられています。城跡には現在、寺院や神社がありますが、寺は江戸後期に移転してきたようです」と市教育委員会文化振興課の西島庸介係長。

 「城」「祥」と異なる字が混在するが、史料上では「安城」は14世紀、「安祥」は17世紀に初めて登場し、江戸時代には「安条」「安定」の表記も用いられた。「現在は基本的に安城に統一し、城跡を指す時のみ安祥城址(じょうし)としています」と西島さん。

 安城を含む三河一帯は、15~16世紀、浄土真宗の教えを守る本願寺の門徒たちの一大拠点だった。応仁2(1468)年と伝わる中興の祖・蓮如の来訪が、拡大のきっかけといわれる。核となったのが「三河三カ寺」といわれた上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)(いずれも岡崎市)、本證寺(ほんしょうじ)(安城市)の3寺院だ。

 当時の寺は租税の免除と治外法権が認められた「不入」の地で、寺域には町が形成され、経済の中心でもあったといわれる。そこに目をつけたのが、当時20代初めで、岡崎城で自立したばかりの家康だった。領地拡大のために銭や兵糧を必要とし、領内の寺院に年貢と矢銭(軍資金)を要求したが、反発した寺院や門徒たちが一揆を起こした。

地下遺構が残る本證寺

 三つの寺のうち、本證寺は国指定史跡。1997年以来、安城市教委によって寺域の発掘が行われ、史跡公園化を目指す。一向一揆に関わる旧跡は全国にあるが、同寺のように地下の遺構がよく残っている例は珍しいという。

 同課の斎藤弘之課長補佐と…

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